今年も自治会のラジオ体操、7年目! 子供たちの新学期前日まで10日間ほど行います。大人も自由参加で、5名ほど。 子ども達はカードを首に下げて参加しスタンプをもらいます。ただの早起きではなく体が伸びて良いですよ。
昨日は開成町教育委員会主催の教育講演会があり、「ホットなうちに書いたら」と仰ってくださる方がいたのでその話題にします。以前に綴っていたインクルーシブ教育の話①②③④のご感想を頂いた方でした。どうも有り難うございます。
タイトルの答えは、校長や町長など「長」がつく人の考えでかなり変化が可能で、また国のトップの意識で20年も待たずにガラリと変えられるのではと思っています。
多様な子ども達がいるということが、いかに大切なことか
障がいを持つ児童が通う学校(特別支援学校)やクラス(特別支援学級)の分野ではとても名高いという久保山茂樹氏が講師でした。200名ほどの席がある福祉会館の会場は、8割ほど町内の幼少中の先生達で埋まっていました。
(会場は、壁面はもちろん洗面所もいつも季節感ある飾りがある福祉会館。ホオヅキかな?)
久保山先生の話は、上記の「多様な子ども達が~」の価値観がすべての話の根っこにあることに安心しました。むしろ誰もが少数派になり得る多様性(様々な病気や障害、家庭環境、文化的・宗教的背景…)を排除するような社会に陥ってはいけないという危機感すら伝わりました。
そのうえで、特性がある子と向き合う際の考え方(ベクトル)を少し変えるヒントなど、具体的な声掛けから広い視野での捉え方まで、非常に分かりやすくご説明いただきました。 多くを学ぶに加えて、優しい気持ちになり良かったです。
20年後は、後期高齢者が増えてゆっくり動く・確認しながら話す人が多い社会になる。「まぁいっか」という寛容な捉え方を今から子供たちに教えておかないと、生きづらくなる社会…という考え方も新鮮でした。
では開成町はどうするの
前に一般質問でインクルーシブ教育を尋ねたとき、教育長は、インクルーシブ教育の定義は神奈川県が示す「共生社会の実現に向けて全ての子ができるだけ同じ場所で学び育つ」ことだと述べました。 しかしあくまで「将来的に目指そうとしている」くらいの位置づけで、今は特別支援学級(つまり共生ではなく別所で学ぶ場所)の充実に向けた取組みが主な動きという答弁だった認識です。これもまた最近までのトレンド…というと軽い言葉に聞こえますが、県の方針であり、公立学校の多くにあてはまる「インクルーシブ教育の取組み」です。
その後の質疑応答で、特別支援学級の児童たちが増え続けていることや、教員の業務が複雑化していること、教員不足などにより、学校運営が今はどこも大変な様子がうかがい知れました。
今回の講演で、久保山先生は、もしかしたら先生達に新たな価値観を植え付けました。多数派が少数派を理解し合わせる社会です。そうした先生たちに学ぶ子供たちが担う社会(約20年後?)は、ようやくインクルーシブ…共生社会になりそうです。
先生はまた「国や県の方針はある。では開成町はどうするのか」と繰り返し問いました。国や県の方針は、実は自治体・学校による解釈の違いにより独自の特徴を持てるものだと希望を持ちました。教育委員会だけではなく町民である生徒達・その保護者達も交えた議論があればじわじわと地域に新たな価値観が広がっていくのでは・・・。
なぜ特別支援学級に子ども達が誘導されてしまうのか
昨日は久保山先生の講演会でしたが、その数日前には別のオンライン講演会に個人的に参加していました。障がいや特性がある児童の就学相談や就学活動の専門家で、久保山氏と同じく教育研究家である高橋真(ちか)さんが講師でした。 講演のテーマは上記の通りで、もっと今ある現状(現実)に即した内容でした。 ご自身のお子さんも特別支援学級に通っているとのことでした。
障がいや特性が医学の進歩で細かく判明できるようになると同時に、そうした専門家も増えているという現状があります。 専門家たちは自らの信念や専門性をもとに、「今はこのような一人ひとりの特性に沿った学び方ができますよ」と児童を守るように、あくまで善意で保護者に向かって特別支援学級へ促す。
このような側面もあるのだと改めて言われると、保護者としては通常クラスでは合理的配慮がそこまで期待できず、特別支援学級のほうが我が子に向き合ってくれるのだろうと悟ったり、教室内の「見えない差別」が解消されている空気感を信じられなかったりするかもしれません。 1度そう感じたら、特別支援級になびいて当然だと思いました。選択肢としては、就学相談を受けずに合理的配慮を校長先生やスクールカウンセラーに求めるという方法も考えては、とのことでした。
こうして異なる視点からの学びを重ねていると、なんとなく向かっていく先や課題が見えるような気がします。 将来を楽しみに、なんとか良い方向への教育改革を、一議員・一町民として下支えして、その過程を見守っていきたいと思いました。