戦後の象徴、夜間中学校が急増中②前向きな政治家が多いけれど。

秋の週末は行事続きであちこちに赴き、たいへん充実しています! 先週末は開成町文化祭の芸能発表、今週末は作品展示部門です(8,9日庁舎1階と町民センターにて)。かわいい子ども達の作品もたくさん並んでいました。^^

夜間中学校の促進の動き、一義的にはそうじゃない

さて前回のつづきです。存在意義には頷くものの、国が積極的に推進する動きに疑問を持つ部分もある…、ということを書きました。

不登校経験者や、外国から来た労働者の子どもたちなど、十分な教育を受けないまま形式的に卒業した人たちの希望となる救済制度と言えます。そのため、全国的に支援する傾向が強まっています。 でもそれ以前または同時に改善すべき大仕事があるでしょうと。

これは子ども食堂が広がる現象と少し似ています。

子ども食堂を最初に始めた女性が、もう一線を退くことにしたという理由に、「子ども食堂への支援は貧困対策に貢献している、いいことをしている、というイメージがあるから国も企業も進める。でも子どもの厳しい状況がそれで改善することはない。国は、親の就労問題や子の教育問題などもっと真剣に向き合う必要がある」と仰っていたのと似ています。(⇒ライブドアニュース「名付け親の重い決断」)

子ども食堂、夜間中学校を支援しよう、増やそう。それらがあれば安心…ということで思考停止していては社会はよくなりません。

そもそも実情は夜間中学校の生徒、外国人率7割

夜間中学校は、場所により外国人が7割かそれ以上を占めており、中学卒業資格修了を目指すというより、公立学校だから無料の日本語学校化しているなど、地域により現状や受け入れ条件に相当なばらつきや、教員の更なる疲弊もあるようです。

(⇒ご参考 読売新聞「夜間中学の生徒は7割近くが外国人。」 ⇐帰化人を入れるともっと多いだろう。)

前回はお一人でも無料塾を始めた「足柄みらい教室」を紹介しましたが、南足柄市と開成町でボランティアさん達による日本語教室もあります。( ⇒「あしがらNIHONGO」 )

先生方からは「日本語が全く分からなくて学校に馴染めない子どものヘルプを学校から頼まれたときがあった」「仕事をする人たちから夜間の需要も増えている」との話がありました。

それもあり、夜間中学の話を聴きながら、中学校で学ぶ内容をしっかり学び直したい不登校だった日本人と、日本語が分からなくて授業についていけなかった外国の子では、教え方がぜんぜん違うのでは… という懸念が頭に浮かんでいました。あと、教員の多忙化と成り手不足という現状はスルーされている?と。

実際、夜間中学校の生徒数が多い関西のほうでは、日本語レベルに合わせてクラス別に、日本語指導教員が就いているところもあるようです。 ※夜間中学校の教員は基本的にボランティアではなく正規の教員とされています。

外国で、外国人向けの公立かつ無料の語学教室は見たことない(難民支援以外)

私は移民国家の北米や、移民政策が積極的と当時言われていたメルケル元首相時代のドイツに住んでいました。

労働者として出稼ぎにくる外国人も多いので、普通の学校ではない、移民政策の一環でカリキュラムが組まれた公立の外国人向け語学学校もありました。無数にある有料の民間や個人の教室よりかなり割安でした。

ドイツでシリア難民受け入れが進んだ2010年代頃からは、難民受け入れが国策であるが故に、公立で無償の難民向け語学学校が広がり始めました。 正規の学校にそのまま入ってもついていけないので、先に語学を習得してから、という措置です。(日本はこれがないから学校が大変)

国が推進すること、かつ経済的に困窮を極める難民が対象だから、国の金で整備し、まかなっているのです。

外国人受け入れを進めても、「移民政策」とは言いたくない日本。

同じ理屈で言えば、日本は国として外国人材受入れを促進し、その家族のことも遅くなったけどフォローしたいから、国のお金で「夜間中学校」という場所を設けて外国人のための日本語教育費をまかなっています。

そのような実情がありながら、あくまで「不登校だった人を救済するような夜間中学校」「誰にでも等しく学びの場を」という誰もが賛同する理由を表に出し、一貫して「移民政策というものはとっていない」という姿勢でいることが、おかしなところです。

移民政策とは言わず、移民、難民、国籍、経済状況とかは関係なく、教育は誰にでも等しく与えられるべきものだから、(教員の人件費等は全て日本人の税金で)(しかも夜の公立学校に入って)ここで学べばいいのですよ、というまさに仏(ほとけ)のようなサービスを掲げる夜間中学校が促進されています。かたや日本人は減り、昼間の学校は統廃合が進み減っている現状がありながら。

今や複数の党、無所属議員が推進している。

前提として私の考えは…、義務教育を十分に受けられなかった大人(近年では不登校経験者や、言葉が分からないのに親の都合で来日し学校で過ごし馴染めなかった外国人)がすでに大多数いる状態なので、補習授業のようなものはあれば良いと思う。

でも生活の多様化とインターネットが進んでいる現代で、それが全て夜間であり、現役の先生が公立学校で教える環境である必要はない。根本的な問題をそのままに、必要とする理由がごった混ぜ・秩序や決まりがあやふやで現場任せのまま、「必要な人がどんどん増えている。さあ夜間中学校も増やそう」と進んでいる現状は非常に良くない。

日本の教育費はまず元来の昼間の学校に通う子ども達が安全で健やかに学ぶ環境を維持するため、教員たちも健康に前向きに過ごせる余白があるよう、教員数や、その他不登校児童を含め学習支援等のフォロー体制、設備の更新といったものに費やせられるのが望ましいと思う。

そのうえで、無理やり楽観的に考えるとすると、以下のようにも考えられる。

日本人の人の良さや粘り強さ、そして最初は真似から始まっても、自分達に良いように創意工夫を重ねて変容させていく特性を思えば、夜間中学校の実態は長い目でみれば良いことかもしれない・・・と。

子ども食堂も、最初は貧困対策でしたが、老若男女がみんなで食材を持ち寄って、和気あいあいと作って食べる。 そこにやりがいを見出す高齢者や学生らもいるし、地域の活性化に繋がる事例もあります。

日本の教育を丁寧に提供することは、その教員の熱意も含め、異なる価値観を持つ外国人の性根を入れ替えるような効果があるかもしれません。

ありがたいのは、外国人であっても日本・日本人への心からの共感と理解、それを持ち続けて次世代に繋げてくれる人です。 そういう人達を増やすには、日本式の教育を地道に施すことが、年月がかかりますが効果的だと思えなくはないです。

一見、外国人政策の推進に利用されているような状況であっても、日本においては日本の寛容さなどの独自性が、結局はゆっくりと浸透していく。 そのような教育の強み、一国の強みを信じたいです。

長くなりましたが、お読みいただいた方は有難うございました。 夜間中学校についていろいろ考えていた話は終わり。