バレンタイデーに書いていたのに更新が遅くなってしまった。 週末に娘と一緒に作ったチョコ写真です💓
ブログは間が開きましたが先日、ついに自治会長会議も任期2年間で最後の会を終えました!! それについては、別途書ければと思います。
私が自治会長を務めるにあたり、最終的に果たせた最大の目的は・・・
「自治会長の敷居を低くし、住民同士で滞りなく引き継いでいくこと」 でした。【➡ ご参考リンク先「どうして私が自治会長になったのか①」「②」】 【関連➡「女性が自治会長ということについて、どう思いますか」】
マメで責任感が強い前会長の性格上、会長業務だけが膨大になっていたこともあり後任候補者(全員6,70代の男性)の拒否感は強いものでした。 二期目も三期目も後任者が見つからないので、四期目になる?というときに副会長から立候補して、キャラの全く違う私がワンクッション(潤滑油)となり、回していくことを目的としました。
まとめ役と行政との連絡員という、それだけで十二分に煩雑な任務を努める会長は、「しょうがない、まだ続く人生のうちの二年間だけ、地域のことでもやってやるか」という重すぎない気持ちで引き受けて欲しいものです。 趣味や旅行を諦める必要もありません。 それには会長業務のスリム化と分散化は欠かせませんでした。(その流れで全体業務も軽減した)
私が常に意識していたことは、「これは次に誰が自治会長になっても続けられることだろうか?」 「会長は大変ではないという証明をするのだから、大変だと思ったらやり方を変えないと。 他の役員に相談しよう」 ということです。 意識して他の役員に頼りながら動いていました。 仕事が出来る人にとっては意外に難しいことかもしれませんが、私は堂々と「大変なことは出来ない人」となり無理しないようにしていました。
候補者の中から、ある人にロックオン
自治会三役は、まず奇跡を信じて立候補を募りましたがやはりゼロ。 立候補がないので選考委員で候補者を挙げました。 そしてそのときどきの都合が良い役員、数名程度で候補者宅を訪問しました。
結局、次年度三役と会計監査の計6名を選出するにあたり、一番最初に決まったのが私の後任になる会長職です。 私が「彼なら自分のペースを作って取り組みそうだ」と挙げた候補者で、前会長後任の打診はけんもほろろに断ったことがある人です。 それが今回は、「面倒くさそうだけど清水さんしつこいし(実際はもっと柔らかい言い方)、検討します」と言いながら、「自分もそろそろ地域に恩返しをする年齢なのかと思う」と前向きに引き受けてくれました。
そして、やはり以前は頑なに断っていた人や主婦も含めて他の役職も割とすんなり決まりました。 そしてまた流れが出来ました。 新しい人達で、やりやすいようにして頂ければ幸いです。✨
組織にいるのは感情・事情ある人一人ずつ。
今年度三役で果たした幾つかのうち要と言えるものは、形骸化していた自治会組織を活かすよう仕向けたことです。
会長に負担が偏らないためには、他の役員の能力や責任感を信じて頼って、現場は現場担当者に任せて見守ることが大事だという考えです。 幸いにも自治会組織図があるのだし、得意不得意を持った老若男女が関わる自治会だからこそ、それが可能なはずです。 業務を分かりやすくして一人一人の負担を減らせば、皆さん「それくらいなら」と手を挙げたり動いてくれます。 幾つかの「手」の相乗効果で自治会活動は可能になります。 おそらく他の自治会では普通のことだと思うけれど、とにかく当自治会はトップに偏っていたので…。
とくに名ばかりになっていたのは部長職です。 部長として責任をもって継続的に取り組む人がしばらくいなかった…ということは、マンション住民の福祉などについて、継続的に考えて動く人や部長OBとなって理解ある人がそれだけ本来の数より減ってしまったと言えます。
組織形態の大きな問題だったのでそこまで変えるのは難儀だと思っていましたが、優秀な副会長たちのお陰で改変にこぎつけることが出来ました。
それで果たして部長になった達が「大変になった」と愚痴るかというと、そんなことはありません。 組織図の上に名前があるだけで実態が伴っておらず、でも役職手当は貰ってしまいなんだか居心地が悪い…と漏らす良識ある部長達を何人見たでしょうか。 それが、もともと関心ある人達が部長となり、役割と権限がストンと目の前に置かれるため、開き直って動いてくれると期待しています。
引き続き年度末事務処理。
ということで役員選出と取り組んでいた諸々の一例の振り返りでした。
自治会では、総会資料作りが山場です。 あと一月半、大変にならない程度にがんばりたいと思います。