なぜ私が。子ども達の情操教育と音楽による国際平和を目指しているAIMEC。

今日は1日なので広報日でした。 自治会ではコロナで事業を中止しているので案内は少なかったです。 本当なら今月、生涯学習部長さんが「これがやれたら、素晴らしい!」と言っていたスポーツ体験教室が予定されていたのに。 成人の祝い品をお渡ししたときの新成人インタビューは載りました。➡自治会ページ

そんな自治会事業や、任期交代を迎える現・新組長さん達のことなどを気にしている毎日なので、珍しくポッと沸いたお茶の誘いに乗りました。 アイメックという、お隣の南足柄市に本部があるグローバルな特定非営利団体の代表者からのお誘いです。 

(↑ 写真はホームページから拝借。楽器をもらって輝く笑顔を見せる子ども達。) 

AIMEC アイメック…日本各地から中古楽器の寄贈を受け、アフリカなど発展途上国に無償で輸出、現地フォローをすることで、音楽を通じた国際交流と国際平和を目的としている「認定」NPO団体。 (「認定」を受けているのは、全国5万以上のNPO団体の中でもたった2%です。)

東京新聞掲載「日本で使われなくなった楽器がウガンダで鳴り響く」寄贈だけでなく音楽塾!

この善意による国際交流事業に、足柄地域でも小田原を含め多くの学校が一部の生徒、もしくは部や学校の取組としてご協力されています。

➡協賛団体のページ ➡開成町ブルーバーズから楽器寄贈

理事に就任しています(不本意)

私は自治会長になる前から、町の子ども子育て支援活動を行う非営利団体の代表です。 その2つでボランティアはもう十分。(※有償ボラ。) 子育てもパートの仕事もあるので「出来ません」とハッキリ断りましたが、なんやかんやと、名ばかりのAIMEC理事となっています。

本部での会議もZOOMでの打合せも、お断りするかスルーするかが多い不良理事です。 

認定NPO団体の動き方はとても勉強になることがあったり、素晴らしいご経験をお持ちの方々が他の理事だったりするので、ほとんど返事は書きませんが、来るメールやLINEを読んではいます。 

南足柄の山に囲まれた本部のバルコニーでのお茶時間では、他の会議室で聞くと難しそうな話でも、そうは聞こえないから不思議です。 

奥に見えるのは庭の一画。このときは庭で、子連れで、事務局長と顔合わせでした。音楽もあって贅沢な時間でした。

先進国の文化を発展途上国に「良いものだから」と持ち込み利用させるのは良いこと?

もともと、それほど理念にピンと来ていませんでした。 目の前の子育てや自治会に向き合っている私にはアフリカなどは遠すぎるし、当初は上記のような疑問があったからです。 

別国の辺境の村で、アメリカの住宅文化を持ち込まれて住宅地が整備されたけど、現地の人々にとっては使い勝手が悪いのか、維持の仕方が分からずフォローも不十分なのか、逆に荒れた地域のようになっている異様な光景を目にしたことがありました。

同様に善意の押しつけになるんじゃないか? 最終的にこの楽器を処理する場所や技術がその国に無いのなら、環境汚染となるゴミになるのでは? その国にはその国の、土地の素材を使った楽器などがあるじゃないか? 

と、そんな疑問がよぎっていました。 でも、写真のような子ども達の笑顔の数々には、思わずニッコリさせられます。 身近な子ども達も純粋に楽しいとき、こんな表情をします。 

子ども達が見慣れない楽器を扱い、みんなの音が音楽になり、驚いたり喜んだりすること自体が喜ばしい。 異文化を知ることから生じる広がりも計り知れず、自国の良さに気付くきっかけにもなる。 相対的に伝統楽器も評価されるだろうと思い直しました。

現地まで赴いたスタッフが現地の伝統楽器を輸入したら、それは逆に日本にとっても珍しい音を奏でる面白い楽器です。 日本で一般的な鍵盤ハーモニカや笛とセッションして響かせる姿・音をZOOMで現地に見せたら、自国文化の再評価に繋がるかもしれません。 

深く考えるのは辞めた。

今回はAIMECの岩井代表と、別団体の代表者による対談の目撃者みたいな立場でした。(暖炉の前でコーヒーを飲みながら)  

そこで岩井代表ははっきりと、「楽器を寄贈することは、施し(ほどこし)では無い。 国際平和、引いては日本の国益にだって繋がることだ」と、地球にかかる虹を彷彿とさせるような大きなことを言っていました。 

彼が語る夢は戦地や発展途上国のことなので危険がつきまといますが、実現したら平和ノーベル賞ものの提案です。  

もう私がとやかく口出しすることはありません。 そういうことを言って国際的な事業を一つ一つこなしている人が、「清水さんは理事だ」と言って下さるのなら、それがいいのでしょう・・・。 

漠然と大きすぎるビジョンを前に、目を凝らして課題を見つけ、それに対していちいち大変と感じることは不毛に思いました。 ボランティアだし、出来ないことが多そうだからと否定もせず、行雲流水の如く、私は私でそのとき気の向くまま・出来そうなことだけ、させてもらおうと改めて思いました。