湯河原町の大人のいじめ問題、しかも投票で選ばれし人達。

湯河原町の大人のいじめ問題が、ここ開成町の一主婦の元まで届いてきました。 

湯河原町には梅祭りや、海遊びとお菓子屋さん目的で行ったことがありますが、自然が多いことと地方の町らしい素朴さが魅力です。 熱海の梅祭りより断然こちらの方が素晴らしいですが知名度が随分劣っていたのと、交通網が限られていた印象があります。 

今現在、この地域資源・環境資源が大いに話題になる中でも全然町のホームページ等でアピールされていないけど、湯河原の海は鉄分が多くて砂鉄遊び・実験が出来るし、鉄で空気が熱っせられて温かいので、海水浴が他地域より早くから楽しめるのが他と違うポイントです。 ジオの観点から調べると掲載があり、注目されている地域の一つだと分かります。 

背中も曲がっているかなりご高齢の人が、細路地が多い中心地で普通車を運転していたので、きっと多数派の高齢者の意見が強い土地柄だから、免許返納は進んでないんだねー・・・と、夫と話していたっけ。

今、湯河原で起こっている問題

全国でクローズアップされているのは ずさんな個人情報管理や秘密議会に関して議会で指摘したら懲罰になった (京都府議会議員芦田祐介氏著)という裁判に発展している湯河原議会の政治問題です。 

一人の新人議員さんが指摘した管理問題で、議会体制そのものの問題もようやく明るみになり、議会が正常に動き出すように歯車が回る? でも錆びついてて無理? という状況みたいです。 湯河原町民の皆さんがオイルを差したり、別の歯車になって上手く動くようになったら良いと思います。  

「大人のいじめ」が当たり前にある不健全な中身だからマヒしてしまう

上記の新人議員さん、土屋由希子さんは「新人・若手・女性」に加え、今回の議会体制批判に繋がる指摘をしたということで、他議員さん達から孤立している図です。 

裁判になる前には、他議員さん達が知らぬ間に結託して、あたかも彼女が自分で書いたかのような謝罪文を勝手に作成した上、それを大々的に定期広報誌に載せて発行・・・という仰天ものがありましたが、それだけではありませんでした。

そこに至るまでに1年近くもの間(!)、廊下で会うと無視、舌打ち、議会で質問しようとすると嘲笑、やじ、不快な表情・・・という陰湿な集団イジメが続いていたのでした。 広報紙を含めて、これはイジメです。

同じことが学校で起これば、すぐさま学級会で子ども達に「それは、いじめです」と言って注意し、「相手の気持ちを考えなさい」「自分がされたらどうなの?想像してみなさい」 と辞めさせる行為です。 放置していたら先生や学校の評価がどうなるか恐ろしいものです。

周りにも、「見ていて何も言わないのは、いじめに加担しているのと同じです。 注意できる大人になるように!」 と切実に訴える、そういう「いじめ行為」です。 

いじめは理不尽な暴力と同じく残酷なことです。 

ましてや大人、しかも選挙を経て選ばれた議員さんたちは、湯河原町ではまだ「先生」と呼ぶ人も多いでしょう。 

公衆に対して「いじめに加担する反面教師」という先生に自らなっていますね。 我が子達に対して恥ずかしく、情けないことです。 いじめが許されない地域社会の中で、議会はなんの例外にもなりません。 人の尊厳を傷つけるイジメ問題に「大人の事情」が絡むと思うなら、それは大きな間違いです。 ただの「大人のイジメ加担者」です。

特に若い議員たちは挽回のチャンスあるのだから、早く「他議員」から一抜けした方がいい

幸い、土屋さんが精神的にタフな人なので病院送りになっていません。 また土屋さんは湯河原町議会議員の誇りを持って、悪口を言ったり個人攻撃をしません。 そのように強く良識ある人であることが、イジメ側の「他議員」には幸運でした。

今の議員さん達、とくに熊谷議員と渡辺議員以外はすっかり「土屋さんとその他議員」の図がニュースを通して出来ていますから、いち早く「私は『その他』ではない」と公に意思表明して「あれは確かにおかしいことだった。」謝罪する方が、一瞬カッコ悪くても後々良いです。 

今はみんな揃ってダンマリですね。 かん口令が敷かれているように思われます。 

早いうちに表明した方が、後々「勇気ある誠実な人」と目立ちます。 遅れれば遅れるほど、「やっぱり、なんでも多数派につくのね」と思われてしまいます。

子ども達にとって恥ずかしくない、堂々と「こういう理由でこう動いたんだ」と言える立場であって欲しいです。 目前に立つ権力者の影響力は裁判でゼロになるかもしれないけど、後ろに立つ子ども達の記憶には長く残ります。 

光り輝く芸能人のような、一流ビジネスマンのような。

私は若手の男性議員さん達の顔を思い浮かべ、その人達に投票したであろう彼の身近なおじいさん・おばあさん達を想像しています。

「あんなにやんちゃだった○クンが議員さんになった!すごい! なんて頼もしく立派になったんだろう!! 」

と「スーツをピシッと着てみんなの前で先生として発言」する立派な姿に手放しで喜び、生きる活力をもらっていることと想像します。

しかし町議員は芸能人ではありません。 存在そのものや、一言の声かけだけで身内を元気づけることが仕事ではありません。 

町行政が時代に即しているのか、町民の皆様に向けて機能しているのか、などをチェックして調べつくし、不備があるなら町と町民の皆様のために、心を鬼にして町を相手に追求するのです。

土屋さんがそのような本来の議会の姿と議員の仕事を見直すような、長年の膿を洗い流すようなチャンスをくれました。 

土屋さんは湯河原を分断したり、湯河原の恥を晒したのではありません。 風通しをよくして光を注いでくれたのです。 町の外では、湯河原はこれでさらに良くなると見ています。