日本の国旗は平和の象徴であれ。 国旗掲揚反対論に触れて

昨日たまたま、大相撲の千秋楽で、大関のウクライナ人安青錦が優勝した場面を目にしていました。 表彰式では君が代が流れ、日本国旗が掲揚される様子を青い目の彼がジッと見つめている姿に、

「相撲は日本国技で伝統に厳しいけれど、それを理解し受け入れる人であれば外国人も関係なく、思う存分活躍できる場だ」

と感心していました。

1月は国旗を目にする機会が多かったです。 (ここで言う国旗は一般的な日章旗。)正月に訪れた親せき宅の門には、国旗が掲揚されていました。↑↑

今では正月しか揚げないと言ってましたが、国旗を仕舞う箱には、旗日として他にも「こどもの日」や「文化の日」」など多くの祝日の記載がありました。

1月の町行事である町民表彰式、二十歳を祝う式典、消防団の出初式では、国旗と町旗が左右に並んでいました。

学校では、入学・卒業式や運動会など。 そのような形で目にする機会が毎年繰り返され、国旗があると祝日か何かの式典か、という感じがします。健やかな日常生活における節目節目に掲げられるものです。オリンピックをはじめ戦争と対局にあるようなスポーツの祭典で掲げられるので、平和の象徴とも言えます。

侵略戦争を思い出す人がいる

近隣の議会では最近、「議場に国旗を掲揚しよう」という話になり、議会で可決されました。その際、「少数とはいえ、侵略戦争を思い出す人もいるから控えるべき」や、思想信条の自由を唱える反対論が少なからずありました。

上記のように、ここ半世紀以上は様々に平和の象徴として掲げられている国旗ですが、特に外国ルーツのある人など、様々な考えの住民、議員に配慮すると、議場においては「思想信条の自由」を脅かす話になるのかと気づかされました。

また議会は国から独立しているのだから、それに縛られず冷静に議論ができるよう控える…という話もあったようです。 ここで「国から独立」というのはあくまで日本国憲法のもと、それに含まれる地方自治法に記される、国の決定に寄らず自治体で物事を決める権利について触れていることです。 日本という国からはみ出ているわけではありません。

国旗は議会において否定するものではなく大事なもの。

議会は日本国憲法のもとで動いていることを考えれば、議会こそ国旗を大事に扱ったら良い場所です。 しかし、だからといって大きなサイズのものを壁に掲げるというのは別問題で、サイズや、場所(議場内か外か、どこなのか)などの選択肢はあると思うし、さらなる議題として各議会で話し合って決めることです。

もし、議員たちの席と向き合うかたちで大きく掲げられていたら。 議員は身近な町民たちの生活の質向上や福祉の充実の話を、町長に対してしているのに、その背後に国旗があると、国の話をしているような仰々しさに違和感を覚えそうだと想像します。

また開成町議会は通年制で毎月会議がありますから、国旗=何かの式典など特別な機会という一般的な感覚があると、儀式張った機会が多く感じられて気疲れするかもしれません。

開成町議会ではどうかというと、机上サイズのものが議長席に置かれています。 この席を挟むかたちで議員たちの席、町長や職員たちの席が向き合っているので、国旗はどちらの背後でもありません。

(文字が入っているのは、開成町議会ホームページからコピーしたので。綺麗な議場の写真があります。)

議長の後ろの壁は、落ち着いた雰囲気を生む木材の壁、それに調和したデザインの町章。

国旗の存在は決しておろそかにせず、控えめなかたちで議場には必要なものとして置いています。 それで十分に法律は重んじられ、議場内では緊張感が保たれています。

このくらいであれば、様々な考えの議員たちであっても、負の感情は生まないのでは。 今月はそんなふうに、様々な場面で国旗を意識して過ごしていました。

国旗は、各国それぞれの象徴や理念が込められたデザインです。日の丸の国旗は、太陽の恵みへの感謝、神聖・純潔(白)、真心・活力(赤)を表しているとのこと。戦後100年まで、その後もずっと、戦争から離れ、平和や祝日、おめでたいとき、といったことをまず思い浮かべる国旗であってほしいです。